鷲羽岳 / Mount Washiba
SHARE REVIEWS FROM GOOGLE MAP VOL.1
祖父岳
そふだけではなく「じいだけ」と読みます。山頂は広くて平らなので見通しの悪が時はロープやケルンを頼りに進むといいと思います。雲ノ平を見下ろすことが出来ます。
引用元:Google マップ
パノラマ写真のように山頂からは360度の北アルプスの山々が目の前に広がってます。とても素晴らしいとところでした。じい岳も、ばあ岳も両方良かったです。
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雲ノ平
日本最後の秘境と地図に書いてあったので12-08-11に行ってきました歩道は整備されていて環境保全は行き届いて素晴らしいところでした。雲ノ平山荘で一泊するとゆっくりと散策できます。綺麗な山荘ですよ。
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どこからアプローチしても1泊2日行程でないとたどり着けない雲上の楽園です。高山植物の咲くお花畑、たおやかな山稜…北アルプスの宝物ですね…折角ここまで来たら、高天原にも是非行って見てください。いい温泉に入れますし、山小屋もあります…私は大学生の時に山好きの祖父と行きました…
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北アルプス最深部。私は一日でここまで来ましたが、しんどいです。人は多くなく、景色は絶景。キャンプ場の水(雪解けの冷たい水)も豊富でした。北アルプスの有名な山を登り切ってしまった人は是非足を運びましょう。
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雲ノ平山荘
薬師沢からの厳しい登りを越え重い足を引きずりながら進んだその先で、空と地平の境目にようやく姿を現す雲上のオアシス。キャンプサイトまでは驚くほど離れているので、ここでゆっくり休んでいきましょう。
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日本最後の秘境、薬師沢小屋から来る。高山植物の宝庫です。スイス庭園も良い。改装して清潔で開放感があります。鍋料理が出ます。天文台を作りたいらしい。
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【鷲羽岳】Google Earthで日本百名山を上空から眺めてみよう。鷲羽岳(わしばだけ)は飛騨山脈(北アルプス)の大町市と富山市にまたがる標高2,924 mの山。#googleearth https://t.co/UDtxKvp4ug pic.twitter.com/rpF6alLR82
— Google Earth Photo Traveler@HITOJII (@findoutwonder) 2018年8月17日
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三俣山荘
こちらの山小屋の主人は41歳の伊藤圭さんとそのご家族、数人のアルバイトさんがその運営にあたっています。
天空の宿は抜群の眺望を誇ります。2日の登山工程を経て辿り着く事ができる秘境。でも、ヘリコプターでも来れます。
2550メートルの標高は無線しか通じません。水道も300メートル離れた沢から引いています。
7月1日から10月までのオープンになっています。
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お昼にジビエ丼を食べたくて行ったのですが、人気のメニューはすぐ売り切れてしまうとの事で、食べられませんでした。
2階の食堂の、窓からは槍ヶ岳が良く見えます。サイフォンで入れたコーヒーもあるので、時間の余裕のある方は、まったり休憩するにはとても良いところだと思いました。
ただハイシーズンは凄く混むのではとおもいました。
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岩苔乗越からピストン。注意要するロープ箇所が1箇所、短め。緩やかな山かと思いきや山頂付近はゴツゴツ。
お隣の水晶岳とは、表情も違い登って良かったと思える。
360°どこを向いても、眺望はいい。南東の槍ヶ岳方面は、手前の緩やかな山肌の緑に対し、硫黄尾根の植物が削ぎ落とされ緑のない鋭利な赤い肌と北鎌尾根の灰色の岩陵のコントラスト。
南西は、緩やかな谷合いで緑の中に仔む三俣山荘の赤い屋根。
西は、黒部五郎、祖父岳から黒部源流へ落ちこむ登山道、北は雄大な水晶岳。
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8月12日曇り。午後からは雨の予想が出ていた。午前8時、三俣蓮華山荘から山行。
山荘に荷物を預かってもらったので軽装で行けた。9時5分に山頂。なんとか晴れ間が出たけれど景色は今ひとつ。水晶岳に縦走し、巻き道で三俣蓮華山荘に戻ってくると、午前よりもくつきりした山容であった。迂回せずにもう一度山頂を通れば良かったと後海。
夕方には山荘前から、槍ヶ岳と北鎌尾根が見えた。
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鷲羽岳について学ぶ|LEARN ABOUT MT. WASHIBA
鷲羽岳(わしばだけ)は飛騨山脈(北アルプス)の大町市と富山市にまたがる標高2,924 mの山である。1934年(昭和9年)12月4日に中部山岳国立公園に指定され、山域はその特別保護地区になっている。また日本百名山にも選定されている。
北アルプスのほぼ中央部、黒部川の源流に位置する。「裏銀座」と呼ばれる飛騨山脈主稜線の縦走路上にあり、山の奥深い位置にあるため、登山道を利用して複数日かけて登頂されることが多い。山頂は森林限界のハイマツ帯で見晴らしが良く、飛騨山脈の大部分の山々を見渡すことができる。山の北側はデイサイト、南側は花崗閃緑岩から成る。
現在の鷲羽岳は明治の登山黎明期までは東鷲羽岳あるいは龍池ヶ岳と呼ばれていて、現在の三俣蓮華岳 (2,841 m) が鷲羽岳であった。
戦国時代末期以後の加賀藩政時代より、北アルプスの大半は加賀藩の奥山廻りによって調査され、1697年(元禄10年)に「鷲ノ羽岳」の山名や地形が絵図にされていた。 特にこの現在の三俣蓮華岳付近は、加賀藩政時代は三国境としての重要さから詳細に調査されていた。
鷲羽池について、1810年(文化7年)の山廻り日記『文化七年 上奥山御境目廻リ 桐沢半六』には、「八月二日晴天(中略)鷲羽嶽江登、鷲ノ羽嶽頭ニ而方角(中略)鷲羽嶽ノ巳[7]ノ方池有ル 此ノ池甚タ減水ニ而、水三分程有ル」と記されている。
1910年(明治43年)、日本山岳会の小島烏水と高頭仁兵衛が、上高地の上條嘉門次を案内人として信州方面から登山したとき、彼らにとってはこの山域は処女地であった。このとき三俣蓮華岳について越中側での呼び名を知らなかった案内人の嘉門次に、「飛騨の猟師が、この山で熊を射止めた。そうして熊の膽(キモ)のつもりで俗称蓮華膽(肝臓)を腹から引き出して喰ったので信州の猟師達が嘲笑って蓮華喰みの岳と言ったのを略して蓮華と呼んでいる」と説明されたのである。
当時の参謀本部陸地測量部の5万分の1地形図では、従来の越中側の山名を踏襲して現在の三俣蓮華岳が鷲羽岳と記されていた。そこで日本山岳会の面々は、、陸地測量部に調査不十分であると地図の訂正を強く求めた。その結果、1930年(昭和5年)の修正版で改訂されて現在に至っている。
山名の由来は、三俣蓮華岳から眺めた鷲が羽ばたいている山容からきているとされている。
1907年(明治40年)夏、志村烏嶺は北アルプスの最奥地、黒部川源流域の人跡未踏の深山を求め、高瀬渓谷から烏帽子岳に登り、現在のいわゆる裏銀座コースを縦走して鷲羽岳に初登頂を行った。その時の紀行文「日本アルプス縦走記」が当時の山岳雑誌『山岳』の巻頭を飾った。その中で志村は「これは破天荒の壮挙、未曾有の壮挙、誰かその一部たりとも、日本アルプスの峻嶺を、その山稜に沿ふて、縦走せしものありや」と自慢し、「久恋の鷲羽岳」に到達したくだりでは「未だかつて、採集家等の、一度も足跡を印せし事なし」として「鷲羽の絶頂より、南方眼下に、又、一湖水を発見す、こは全く一噴火口なり、恐らく何人の耳にも新しき事実なるべし」と書いた。この他にも、明治後半頃の『山岳』に載せられた紀行文には、随所に人跡未踏の山の初登頂や初縦走の話題で盛り上がっていた。
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