黒部五郎岳 / Mount Kurobegorō
【黒部五郎岳】Google Earthで日本百名山を上空から眺めてみよう。黒部五郎岳(くろべごろうだけ)は、富山県富山市、岐阜県飛騨市及び高山市にまたがる飛騨山脈の標高2,840mの山。別名、中ノ俣岳(なかのまただけ)、鍋岳。#googleearth https://t.co/IP4zldiUW7 pic.twitter.com/rC0T8SRMRK
— Google Earth Photo Traveler@HITOJII (@findoutwonder) 2018年8月19日
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黒部五郎小舎
とても過ごしやすい清々しいキャンプサイト。
小屋から少し離れているが問題ない。小屋前の水は、豊富。
小屋の雰囲気も落ち着いていて、安心できて癒される。
小屋前のベンチからは、黒部五郎の眺めが良い。
夕食のみ、3000円。カフェメニュー、親子丼、カレー1000円、他。冷えたトマト、きゅうり、りんご有り。300円。
引用元:Google マップ
ああ、懐かしい。三角屋根の山小屋。黒部五郎の広々とした風景と相まって、ほとんど「大草原の小さな家」の世界だった。しかし、ここにたどり麓くまでほんと長いよなぁ(笑)。槍からテント背負って、何日かかっただろう?
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黒部五郎の肩
体力、走力に自信のある方は、日帰りできます。黒部源流、薬師岳、立山、水晶岳、槍ヶ岳、すばらしい景色が一望できます。
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素晴らしいカール周囲の秀峰の数々槍ヶ岳と穂高連峰の眺めが秀逸
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折立~太郎平~黒部五郎岳~三俣蓮華岳~双六岳~鏡平~新穂高温泉縦走時に訪れました。全般的に歩き易いコースです。カールが美しい山です。
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8月11日午前9時半、太郎小屋を出発。10時頃雨があがった。時おり雲が出て涼しい風が吹く。晴れると暑くて汗をかくので、到達するまでは曇っていた方が快適だった。
ところが、肩の分岐に着くと雲だらけ。山頂ではまわりはなんにも見ることができなかった。カールを下りていくと、この山の全容が見えてきた。直径何百メートルだろうか?大きな屏風の様だった。長さは3km以上ではないかと推測した。(歩いた時間から)
引用元:Google マップ
この一帯、大好き。柔らかいのにたくましい。山の緑に包まれ、まさに山の懐。カールの雄大さと小川の水の透明感。癒される。
雲の平→黒部源流→三俣→黒部五郎このルートは、水が豊富で、小川がきれい。三俣からの巻道は雪渓を歩くことに。
黒部五郎小屋から黒部五郎山頂→太郎平小屋方面に抜ける登山者が多い。
引用元:Google マップ
黒部五郎岳について学ぶ|LEARN ABOUT MT. KUROBEGORŌ
黒部五郎岳(くろべごろうだけ)は、富山県富山市、岐阜県飛騨市及び高山市にまたがる飛騨山脈の標高2,840mの山である。別名、中ノ俣岳(なかのまただけ)、鍋岳。黒部五郎岳は富山県側、中ノ俣岳は岐阜県側の古来の名称。日本百名山及び花の百名山に選定されている。山域は中部山岳国立公園に指定されている。
立山連峰が薬師岳より南下して、太郎兵衛平から北ノ俣岳を経て続くなだらかで広々とした稜線の先に、大きなな圏谷を抱く特異な山容を見せる。
花崗閃緑岩で構成され、山頂付近は岩が積み重なった砂礫地である。
人名のような山名であるが、「五郎」は、山の用語であるゴーロ、大きな岩がゴロゴロした場所が山名の語源で、それに五郎という当て字をあてているのである。また、苗字のような「黒部」も、村名が由来であるという。これは近隣の野口五郎岳についても同様で、黒部村の五郎岳と、野口村の五郎岳という言い方で、比較的近接している二つの山を区別したものである。歌手の野口五郎の芸名は野口五郎岳にちなんだものであり、デビュー前には「黒部五郎」も芸名の候補に挙げられていたという。
以前は、東側が欠けた鍋のように見えていたことから「鍋岳」とも呼ばれていた。1909年(明治42年)に山岳画家でもある中村清太郎が登頂し、『越中アルプス縦断記』に記載した後に、この山名が定着したとされている。
1924年の積雪期に、伊藤孝一が常願寺川の支流真川方面から薬師岳を経て登頂、その後槍ヶ岳を経て上高地へと縦走した。1930年(昭和5年)12月に、青山学院大学の小島隼太郎が裏銀座縦走の際に登頂した。1931年(昭和6年)1月に、加藤文太郎が単独で縦走の際に登頂し、裏銀座を経て大町へ下山した。
1923年(大正12年)に、三俣蓮華岳との鞍部の黒部乗越に伊藤孝一により山小屋が建てられた。その後営林署により管理され、1961年(昭和36年)に三俣山荘の経営者の伊藤正一が引き継ぎ、1962年(昭和37年)に現在の場所に黒部五郎小舎が建てられた。1972年(昭和47年)上高地西糸屋山荘経営者の奥原教永が引き継ぎ、小屋を新築し、昭和48年に冬期小屋が併設された。1987年 (昭和62年)双六小屋経営者の小池潜が引き継ぎ、その後、母屋を増築した。2005年(平成17年)に改築により、リニューアルされた(収容人数60人・テント30張)。
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